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【トップインタビューVol.5】仕事に対する姿勢を学んだ10年間。~フランス、デンマーク奔走物語~

コムニコが所属するエル・エム・ジー(LMG)グループのトップインタビュー。広報独自の視点で、社長 林の素顔を紹介していきます。

大手都市銀行を退職後、大手半導体メーカーに転職した林は、念願だった海外勤務の道を掴みます。今回は、海外営業のエピソードや当時の上司との思い出を中心に、10年間のサラリーマン人生を振り返ります。

国内営業1年目、組織で働く人のプロ意識を知る

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- まずはじめに、なぜ、転職先に半導体メーカーを選んだのでしょうか?

林:転職活動では、大手メーカーと専門商社を複数受けた。理由はビジネスの基本原理を理解したかったから。それと大学時代に学んだ英語研究会(E.S.S.)の経験を生かして、若いうちに海外で働いてみたいと漠然と思っていた。最終的に半導体メーカーを選んだのは、国内営業で実績を出せば海外へ行けるチャンスがあると聞いたのが決め手かな。

- 1社目で企業カルチャーの大切さに気づかされたとのことでしたが、環境はいかがでしたか?

林:営業に自由な裁量権がある社風が僕にはフィットした。国内営業1年目は大手電機メーカーを担当していたんだけれど、クライアントに最適な電子部品を提案したり、クライアントの要望に応じたカスタム部品を提案したり、値段もある程度自分で決められるなど、自由な環境だった。

- 1年目から大きな裁量権があるところは、コムニコと同じですね。人の面ではいかがでしたか?

林:社内にはロールモデルとなる先輩や上司がいた。すごく優秀で、自分の成績を上げるためなら泥臭いことだって何だってやる。部長や本部長など偉い人でも、会社の業績を上げるためなら新人と一緒にクライアントのところにだって行く。組織で働く人のプロ意識というものを感じたよ。

- いい先輩や上司に恵まれたんですね。

林:そうだね。会社の成長にコミットして働く人たちを間近で見たのは初めてだったし大きな影響を受けた。

念願の海外赴任!フランスで迎えた最大の修羅場

入社から約3年が経ったころ、林は国内営業で成果を出し、ついに海外勤務のチャンスを掴みます。

- 海外赴任が決まったときはどのような気持ちでしたか?

林:やっぱり嬉しかったよね。上司に海外営業部への異動希望を出したちょうどそのころ、フランスの西部にあるレンヌという都市に支店を作る話があって、国内営業経験者を赴任させたいという会社の意向があった。本社にも海外営業部という部署がある中で、国内営業だった僕が抜擢されたのは、本当にタイミングがよかったと思う。

- レンヌではどのようなことをされたのですか?

林:レンヌでのミッションは、日経企業に携帯電話端末向けの電子部品を売り込むこと。そもそも、なぜレンヌだったのかを説明すると、当時の日本は携帯文化が世界で最も進んでいて、大手通信会社のグローバル展開に合わせて欧米や欧州に生産拠点を設けるメーカーが増えていた。その流れで、企業誘致をしていたレンヌに日系の大手メーカーの生産拠点ができたことから、僕たちも支店を出したというわけ。

- 学生時代に身につけた語学力や、国内営業の経験は生きましたか?

林:商品に関する知識はあったけれど、欧米人相手に交渉事をするには語学力も交渉力も不足していたというのが、正直なところかな。E.S.S.で勉強していたとはいえ、仕事で英語を使ったことはほとんどなかったからね。それに当時担当していたクライアントは、部品が1個売れたら、売上何億円という世界。慣れ合いの交渉は通用しない。海外赴任1年目は、とにかく現地の日系企業と自社の海外営業本部、国内営業との調整に奔走する日々だった。

- 高い交渉力や調整力が必要とされる環境だったんですね。

林:ずば抜けた交渉力や調整力はないけれど、そのような環境に置かれたことでできるようになった部分はあると思う。海外営業で確実に言えるのは、相手に見くびられてはいけないということ。たとえ言葉ではスマートに伝えられなくても、こちら側の本気度を伝えるためには色々な手段をとった(笑)。とにかく結果を出す以外なかったし、僕は国内営業からの抜擢人事だったから、周りからのやっかみも無いわけではない。「やっぱり、日本の営業経験者では無理だったね」と言われないために結果で認めてもらおうと必死だった。

- その結果、ミッションは果たせたのでしょうか?

林:結果は若干…というのも、通信会社のグローバル展開が失敗して、フランス滞在2年目くらいから旗色が悪くなってきた。あまり詳しくは言えないけれど、大口取引先の工場閉鎖に伴う支払い交渉や社内調整は、海外営業時代で最大の修羅場ともいえる日々だった。「もうこれ以上は自分の力では無理」というところまで追い込まれた。その後、日本から上司が来て、フランス人の購買部長相手に強い姿勢で交渉をしてくれた。あのときの上司の‟最後は自分が責任を負うという、逃げない姿”は格好よかった。

辞令は突然に。コペンハーゲン支店の立ち上げへ

その後、デンマークのコペンハーゲンで支店の立ち上げに奔走したという林。「最大の修羅場」だったという実践の場で逃げずにやりきった経験は、その後の自信にもつながっているといいます。

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- なぜコペンハーゲンへ行くことになったのでしょうか?

林:あれは忘れもしないある水曜日。本社の上司から電話がかかってきた。「今週末にデンマークへ行くから来い」と。寝耳に水だったんだけど、コペンハーゲンに支店を作ることが決まり、既に僕に異動の辞令が出ていた。その週末は、上司とともにオフィス探し。そこでの取引先は、当時、携帯電話機の世界でトップシェアを占めていたメーカーということもあり、全社が注目するプロジェクト。受注するか、しないかで会社の売上高が大きく変わるため、やりがいを感じる一方、プレッシャーも凄かった。

- 突然の辞令。そして重圧の中、モチベーションの維持はどのようにされたのでしょうか?

林:金額の面では大きかったけれど、レンヌでの経験でやりきる自信はあった。毎週、フィンランドやイギリス、ドイツと出張が多かったのが大変だったけれど、上司も気にかけてくれていて、出張でコペンハーゲンに来たときは、僕と奥さんを食事に誘ってくれたりして労ってくれた。

- 離れていても見ていてくれる上司の存在は大きいですね。

林:サラリーマン人生の中でどの上司が一番よかったかと聞かれたら、間違いなくその方の名前を挙げたい。コペンハーゲンから帰国して1年後に、僕は起業の道を選んで会社を辞めたんだけれど、上司に「辞めたい」と伝えたときは思わず泣いてしまった。返ってきた答えは「分かった、引き継ぎだけはちゃんとしてや」と意外とあっさりだったんだけれどね(笑)。

- 最後に、サラリーマンを経験してよかったと思いますか?

林:今は学生起業する人も増えてきているけれど、僕にとって、サラリーマンを長く経験できたのはよかったと思う。仕事をする上で、ロールモデルになる人がいるのといないのとでは大きく違うし、特に海外営業での経験は今に生きている。コムニコで働く人には、修羅場を経験しろとは言わないけれど、目の前の一番高い壁に向かって挑戦してほしいし、しんどいことがあっても逃げずにやりきってしてほしい。

- ありがとうございました。

インタビューを終えて

ここまでお読みいただきありがとうございます。現在、コムニコには5つのValue(行動指針)があります。「Be committed」「Be agile」「Be creative」「Be a team player」「Be happy」―これらの背景には、サラリーマン人生で得た、林自身の経験と学びが反映されているのではないでしょうか?

次回は、いよいよ起業のエピソードを振り返ります。それではまた。

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