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個性的であれという強迫

Posted by Masayuki Hayashi

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社会が多様性を認め、個人は「個性的」であることが、必要な要素であるといった風潮はいつごろから始まったのでしょうか?

高度成長期の日本では、無個性な労働者が必要とされ、それゆえに画一的な教育がなされ、個性のない人間が大量に育てられた。一方、現代はそれでは国際社会の中でやっていけず、ユニークな人材をユニークな教育で生み出さなくてはならないというニュアンスの話があります。

多様な人材を受け入れられる社会が必要なのは完全に同意するのですが、こうした論調があまりに強いことの弊害もあるなあと感じます。

「個性」とはにじみ出るもの

新卒採用の活動の中でも、ユニークな人間、他とは違う尖った人間を演じるひとを一定の割合で見かけます。仕事をしていても、何かといえば「自分はこんな個性のある人間なんだ」と無用にアピールする人に出会うことがあります。

そういうひとと出会うと、正直少しイラッとすることも多いのですが、社会の側にも責任があるのではないかと思います。

世の中があまりに「個性的であれ!」というので、強迫観念がひとに植え付けられている側面があるのではないでしょうか?

子供を見ていて思いますが、まだ言葉も話せない赤ん坊も十分個性的です。彼らは自分が個性的であろうとしてるわけでは絶対にないし、ましてやそれをひとにアピールしようとはしていません。

個性とは、アピールするためのものではないし、身に着けるために努力する類のことでもありません。

それはきっと、就職活動でも仕事でも、目の前にある、やるべきことや、やりたいことに愚直に必死に取り組む中で、それでもにじみ出てくるものなんだろうと思います。